国際法を物語る I ―― 国際法なくば立たず(2018年11月,137p.)
国際法を物語る II ―― 国家の万華鏡(2019年4月,129p.)
国際法を物語る III ―― 人権の時代へ(2020年6月,120p.)
出版:株式会社朝陽会

(感想)
2019 年 11 月に外務省が政府訳を公表した,国連「国内避難に関する指導原則」を学び生かす方法を模索している者として興味をもった。
結論からいえば,この 3 冊はその学習に役立つといえる。国連の指導原則はその条文だけを読んでも,「ああそうなん」で右から左へ通過するか,あるいは「法的拘束力がないからダメじゃん」で終わり,それ以上の理解が進まないことがありうる。
国連の指導原則がなにを根拠につくられ,どんな性格,意味,可能性をもっているのかをつかむためには,根拠となっている国際法や,国連の組織について,歴史的,構造的な全体像を,しかも刻々と変化する世界の現実のなかで力学的に動いている現実を知ることは大切なことであるにちがいない。右から左へ通過するのは,表面的な条文を読むだけに終わっていて,そこから深く入っていくようなガイドブックがみつからないからかもしれない。

著者は,I のまえがきで「私にとっての国際法は,「学ぶ」対象である以上に,多様な世界をこの身で「感じる」ための道具立てのようなものであり続けています。」と書かれている。この感覚こそ生きた学びの姿勢であろうと共感する。そして,国際法のもつ不完全さにも言及したうえで「本書では,そうした国際法の姿を多角的に描き出すことで,この法領域のもつダイナミックな魅力を私なりにお伝えできればと念じています。」と書かれている。そのねらいは見事に結実しているとおもう。「多角的に描き出す」という見かたが大事であり,小生も大変興味深く全体を読ませていただいた。

日本の義務教育では国際法を(かならずしも)きちんと教えているわけではなく,司法試験では選択科目の国際法を完全に回避しても合格できる制度になっている。高度な教育を受けた良心的なひとびとをふくめて社会全体が国際法を自分の法規範としてあつかっていない。どんどん変化している世界にあって,日本はどんどん人権後進国になってしまった。2002 年に国内人権機関を確立した韓国とくらべても日本はすでに 18 年遅れており,まだ国会で議論にもなっていないからさらに遅れていくであろう。

わたしたちは災害や危機において政府や自治体と交渉する場合において,また労働運動や社会運動を構成する場合において,あるいは自治会,PTA,自主防災組織などの生活活動において,国際法を法規範として明確に位置づけ,生かすチャンスを求めていくべきであろう。そのために学びが必要になる。

この本の文章は一般人にもわかりやすく書かれていて,1 冊あたりの分量は多くなく,価格も手にとりやすい。まあ 3 冊そろえるとそれなりの価格にはなるがそれだけの価値はある。ただ,ところどころにある漢語表現は,目で読むには問題ないが耳で聞いても理解できない可能性がある。もし口頭で読み上げるときは(小生なら漢和辞典でたしかめてから)わかりやすい和語にいいかえて補足するといった気づかいをしたい。
たとえば,「アパルトヘイトが恣行されていた」(I-p.75)
「現地の人々が発する裂帛の声」(II-p.22)
「国際人権法に内包された偏頗な基本構造」(III-p.9)
「関心の外に放擲された」(III-p.103) (もちろんこのほかにもある。)

著者紹介(III の奥付より)
阿部 浩己(あべ こうき)
1958年伊豆大島生まれ。明治学院大学国際学部教授。神奈川大学名誉教授。
専攻は国際法・国際人権法。博士(法学)(早稲田大学)。国際人権法学会理事長・日本平和学会会長・川崎市人権施策推進協議会会長などを歴任。現在,アジア国際法学会理事・法務省難民審査参与員。主な著書に,「国際法を物語る I」(朝暘会,2018年),「国際法を物語る II」(朝暘会,2019年),「国際法の人権化」(信山社,2014年),「国際人権を生きる」(信山社,2014年),「国際法の暴力を超えて」(岩波書店,2010年),「無国籍の情景」(国連難民高等弁務官駐日事務所,2010年),「沖縄から問う日本の安全保障」(共編著,岩波書店,2015年),「テキストブック国際人権法」(共著,日本評論社,2009年)など。

リンク
国際連合広報センター
災害避難者の人権ネットワーク
国連「国内避難に関する指導原則」とは? 自主学習からはじめよう!(第 2 版)