(お礼文)
お支えくださる全てのみなさまへ

沢山の皆様に支えられて、無事、コロナ禍の中での
原発賠償関西訴訟第26回口頭弁論期日を終えることが出来ました。本当にありがとうございます。

厳しい人数制限の中での公開法廷、
ウィルス感染の危険をおかしても大阪地裁まで駆けつけてくださった皆さま、
抽選漏れで法廷に入れなかったみなさまのために、
細心の注意を払い、こちらも人数制限のなか模擬法廷をご準備くださった弁護団・サポーターの皆さま、そして、模擬法廷・報告会をリモート配信できるよう、
あらゆるご準備にご尽力くださった皆さま、
それを告知してくださった皆さま、
リモート参加してくださった皆さま、
お支えくださった全ての皆さまに、
心より感謝申し上げます。

新型コロナウィルス感染症の拡大真っ最中のなか、
できることを諦めないでご一緒に歩んでくださったすべての皆様に心から敬意と感謝と御礼を申し上げます。

法廷で読み上げさせていただいた意見陳述書を再現・公開いたします。

意見陳述書はどうぞ、ご自由に転載・転用してくださって大丈夫です。
東電福島原子力惨禍の被害の実相が一つでも正確に世の中に伝わるよう、
これからも、言論を止めず、被害の実相と被害の本質からブレずに訴えを続けて参りたいと思います。

コロナ禍の中での大切な「ふつうの暮らし」を守ることと
私たちが手放してはいけない「権利」は何かが、
よりクリアになっていると思います。

また、次世代が確実に成長し、私たち大人の背中をしっかりと見てくれいていること、
多くの皆さまとともに訴え続けてきた9年の成果だと確信できる口頭弁論期日でもありました。
本当に、日々のお支え、ありがとうございます。
引き続き、どうぞご一緒に歩んでください。

原発賠償関西訴訟原告団代表 森松明希子

(意見陳述は続きの記事へ)

===20200730意見陳述書_第26回口頭弁論期日_森松明希子_当日読み上げ原稿===

平成25年(ワ)第9521号、第12947号

平成26年(ワ)第2109号 平成28年(ワ)第2098号、第7630号

原 告 森松明希子 外239名
被 告   国   外1名
          2020〔令和2〕年7月30日
                 
    意見陳述書

           原告番号1-1 森松明希子

原告の森松明希子と申します。
発言の機会をいただきまして、心から感謝申し上げます。

東京電力福島第一原発の爆発から2ヶ月後の2011年5月、
福島県郡山市から大阪市に2人の子どもたちを連れて避難をしてきました。

震災当時0歳と3歳だった私の子どもたちは、現在は9歳と12歳、
福島県民でありながら、大阪の小学校と中学校に通っています。
子どもたちの父親である私の夫はこの9年間、たった一人で福島にとどまり、
家族の避難生活を支えながら、医師として事故前と同じ病院で働いています。

父親と子どもたちが会えるのは月にたった1度だけです。夫は、仕事を終えた足で、金曜日の夜、郡山発の夜行バスに乗り、土曜日の朝、大阪に到着します。
子どもたちには、これまで沢山の我慢をさせてきました。
子どもたち2人が5,6歳の頃までは、日曜日の夜、父親との別れのたびに号泣し、何度も何度も涙で枕を濡らす日々が続きました。
私たちは、放射能から子どもたちの健康を守ることと引き換えに、この9年間、家族4人が同じ屋根の下で一緒に暮らすという「ふつうの暮らし」を奪われてきました。9歳になった娘の年齢が、我が家の避難生活の年数と重なります。

私たちが避難を続けているのは、福島原発事故による放射能汚染が「ある」からです。
原発事故の被害の本質は、放射性物質による核被害、つまり「被ばく」の問題です。
国策で推し進めた原発事故によって、無差別に放射性物質がばらまかれ、環境を汚染しました。

事故直後、空間線量は、原発から60km離れた福島県郡山市でも、
毎時 8.26 マイクロシーベルト(8.26 μSv/h)が計測されました。
仮に、この線量を1年間浴び続ければ、一般公衆の被ばく限度とされている年間1ミリシーベルトを70倍以上超えることになりますが、この9年間で一度も福島県郡山市が強制避難区域に指定されたことはありません。

私たち一般市民には、正確な情報は知らされず、私たちは無用な被ばくを重ねました。そして、空気、水、土壌が著しく汚染される中、私たちは水道水から放射性物質が検出されたと報道されても、その水を飲むしかなく、3歳の我が子にもその水を飲ませるしかありませんでした。
また、2011年5月には福島だけでなく、茨城、千葉、東京でも母親の母乳から放射性物質が検出されたというニュースを耳にしましたが、私は事故直後からずっと汚染された水を飲み続け、生後5ヶ月の我が子にも母乳を与え続けてしまいました。
何も知らされずに、外部被ばく・内部被ばくを問わず、一体どれだけ初期被ばくをさせられたかも分からない上に、更に重ねて、私たちはもうこれ以上、1ミリシーベルトたりとも無用な被ばくを重ねたくはないのです。

知って被ばくすることと、何も知らされずに被ばくさせられることはまるで意味が違うと思います。

私は母子避難を開始するとき、避難したくても出来ない人の声を聞きながら、
それでも、最も直截的に被ばくから身を護るために「避難する」という決断をしました。

裁判長は、避難したくても出来ない人の声を聞いたことがありますか?
息子が通う幼稚園の先生は、「親が避難しなければ子どもは避難出来ないから。私はここにいて守らなければならない子どもたちを守るから、あなただけは、たとえ母子避難でどれだけ大変でも、大阪で子どもたちを守ってね」と背中を押してもらいました。

また、同じ時期に第1子を出産した郡山のお母さんは、事故から数年間は、毎年夏休みが来ると、子どもを連れて大阪に1週間ほど「保養」の情報を得て、福島の外に自分の子を連れ出しておられました。そのときに、「除染なんて、ただただ、高圧洗浄器で家の壁に向けて、水しぶきを浴びながら自分たちが被ばくしながら除染しているのだ!こんなの東電の社長がやればいいんだ!」と泣きながら怒っていました。

そして、こんな事も言っていました。「1年に1度だけ、夏休みの1週間や10日ほど子どもを福島県外に出したからといって、それで子どもを守れているなんて思ってない。私だって、本も読めばインターネットで調べたりもできる。そうすれば、チェルノブイリ原発事故で、郡山くらいの汚染があれば、もっと長期に、もっと頻繁に子どもたちを避難させたほうが良いことくらい分かっている。だけど、年に1度保養に出すのが私にできる精一杯だから…」と肩を落として泣いていた姿を私は一度も忘れたことはありません。

その翌年からは、次々と郡山の市中にも、除染作業で出た放射能汚染物を袋詰にした、いわゆるフレコンバッグが、青や緑のビニールシートに覆われたりして各家庭の庭先や街のあちこちに増えていきました。街中の公園にはモニタリングポストが立っていています。
よく「放射線量が下がった、下がった」と言われますが、
下がったのは、事故直後の高線量と比べて下がっただけであり、
70倍を超える空間線量ではなくなったというだけのことです。
原発事故以前の通常の放射線量まで下がったことは、この9年間で一度もありません。

むしろ、降り注いだ放射性物質は地表に降り注ぎ、染み込み、土壌は汚染されたままです。
郡山市内の土壌は、放射線管理区域の基準の10倍以上の土壌汚染を計測しています。
地表に一番近いのは、大人ではなく身長の低い子どもたちです。そして被ばくに対して脆弱なのも、これから生きていく時間が長いのも子どもたちなのです。

原発は国策なのに、被ばくから身を守る制度は9年経っても何もありません。

他方、避難できたからといっても、
国を挙げての支援や保護の制度が何一つない中で、
原発避難者となった私たちは、差別、偏見、避難者いじめにさられます。
避難した人ととどまる人の分断ばかりが煽られ、コミュニティは崩壊し、個人の尊厳もアイデンティティも奪われるという事態が起きるのが原発事故のもたらす被害です。

避難者いじめや誹謗中傷を避けるため、避難していることを隠す「隠れ避難民」となってしまう人がいることは、私たち原発避難者の間ではよく知られていますが、
隠れることにより、より被害の実態が把握されなくなります。
避難者の姿は見えなくさせられ、正確な避難者数も把握されていません。

この大阪では、2017年に、大阪府の避難者数を
88名と復興庁が公表していた数字が、避難者たちの直訴で、
およそ10倍の800名近くまで上方修正されました。
ずさんな人数把握は、そのまま、原発事故被害に対して正当な賠償も保護も、そして必要な施策も実施されないということです。

また、帰還した人々の声も世間で喧伝されている事情とは異なります。
私が知っている避難者で、帰還をした人で、もう安全だと思うから避難元に戻ると決めた人は一人もいません。
「経済的にこれ以上2箇所に別れて暮らすことは無理だ」
「思春期の子どもたちにこれ以上父親と離れ離れで精神的苦痛や負担を与えるのは限界だ」
というように、汚染の事実があり、合理的根拠があって避難の必要性も相当性もあるなか避難していても、何の保護も賠償も与えられず、むしろ不条理な線引きのために、逆に、より一層の精神的苦痛を受け続けるのです。

さらに、帰還した多くの人が避難の長短を問わず、避難していた事実を隠して帰還するそうです。
子どもたちには「親の転勤で」とか「介護の都合で」などと本当の理由を隠し、決して「避難していた」とは親が子に言わせないように口止めするそうです。
軋轢や避難者いじめから身を守るためとはいえ、避難していた子どもたちにとっては自分の人生の一部を黒塗りするようなもので、「隠れ避難」と同様にアイデンティティの喪失につながります。

そして、皆、被ばくのリスクが高まることを承知で、
多くの人が「交通事故にあうより癌になるリスクのほうが低いから」と自分自身に言い聞かせるように言いながら帰還していきます。
この言葉は、およそ比較するに値しないものを比べて、ただパーセンテージの低さだけにすがって無理やり自分を納得させているようでもあり、むしろ、被ばくによる健康被害のリスクを明確に承知の上で、帰還するより他に選択ができない苦境を如実に表している言葉なのではないでしょうか。

まさに、原発事故被害者は「避難しても地獄、とどまっても地獄」のような9年間であり、放射能汚染という客観的事実がある限り、被害は今も間断なく続いているのです。

責任を追求される側が勝手に引いた線引によって、差別・偏見・分断が助長されることもまた、原発事故が引き起こす被害だと言えます。

私は、目には見えない放射能被害がますます見えなくさせられ、
なかったことにされることは間違っていると思います。

これから先、将来のある子どもたちに、健康被害のリスクを少しでも低減させたいと思うことは親として当然の願いであり、子どもの健やかな成長を願わない親は一人としていないと思うのです。
そこには、一点の曇りもなく、放射線被ばくの恐怖を感じることがあってはならず、
放射線被ばくによって健康被害のリスクを高めることがあってはなりません。
将来の発病を危惧しながらの生活を強いられる事があってはならないと思うのです。

無用な被ばくから免れ健康を享受する権利は基本的人権です。
9年間、間断なく、無用な被ばくから免れ健康を享受する権利が侵害され続けていると私は思います。

今、2人の子どもたちは父親と別れるとき、泣きません。
なぜ避難しているか、もう十分に理解しているからです。
中学生になった息子は野球部に、小学校高学年になった娘はサッカー部に所属しています。
私は避難先の大阪で、2人が選ぶクラブ活動について、何の心配もなく2人の選択を尊重し、
子どもたちを応援することができます。福島に帰っていたら、おそらく、クラブ活動に至るまで、生活の細部に渡り、子どもたちを被ばくから遠ざけるため、あれこれ注意を払って、子どもたちの意思を尊重することも出来なかったと思います。

この裁判を通して、私はこの国の司法が
人々に無用な被ばくを強いる立場に立つのか、
それとも、その反対の立場に立つのか、
最後まで見届けたいと思います。

裁判長、そして裁判官の皆さん、
人の命や健康よりも大切にされなければならないものはあるのでしょうか?

私は、放射線被ばくから免れ、
自らの命と健康を守る行為が原則であると考えます。

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記事のアドレス http://starsdialog.blog.jp/archives/83556008.html