(8月2日修正)
チェルノブィリはナゾが多い。もともと日本においてはロシア文字も社会主義法もなじみがない上に,高度な教育を受けた良心的知識人をふくめて国中が「社会主義はわるい! ソ連はこわい!」という「ニッポン人の常識」を信じていたとすると,まともな法律がナゾに見える,ということもたしかにありそうだ。
いくつかの誤解もある。
1)「チェルノブィリ法はソ連でつくられたが,ソ連が崩壊して3つの国(ベラルーシ,ウクライーナ,ロシア)にわかれ,それぞれの国に受けつがれた」という説。
・・・・・この記事は,その誤解を解消するために編集する。
2)「チェルノブィリ法は国家の加害責任を明確にした」という説。
・・・・・最大の被害国ベラルーシは一方的な被害国でもあり,国家としての加害責任はないにもかかわらず,原発事故の被害者を保護するチェルノブィリ法を最初に制定した。しかも,核実験など,ほかの放射線事故被害者をも救済対象に規定している(ロシア法も同じ)。加害責任論からこのような救済は出てこない。人権の知識はあるが価値観をもたない日本人は,加害責任だけがすべてだと信じこみ,「被害者を保護するのだから,法律に書いていなくても加害責任を明確にしたはずだ」と想像する。それはその人の想像にすぎない。
3)「被害者を保護するチェルノブィリ法が(独裁で貧しい)社会主義国でできたのだから,(民主主義で豊かな)日本でもできるはずだ」という説。
・・・・・社会主義と資本主義の能力のちがいを経済規模という数値だけで比較はできない。被災地域を明確に定義し,被災者を明確に定義して保護するチェルノブィリ法だけでなく,チェルノブィリ・アトラス(土壌汚染の実測にもとづき,事故直後から 70 年後までの放射能減衰予測計算を地図化したもの)を見れば,日本とは異質の社会だからできたのではないかと感じる人もあるだろう。そこには,「問題の核心としてそこに存在するもの」(たとえば土壌汚染)を,ありのままに,客観的に,正確に把握しようとする認識論哲学が感じられる。
 
いろいろ考えると,チェルノブィリは多面的な教訓の宝庫とおもわれる。それが巨大であるゆえに全体像さえはっきり見えないほどである。
「チェルノブィリ法」は関連法や下位法をふくめると膨大な体系であるらしいが,この記事では,おもに被災者の保護についての法律と,被災地域の法的地位についての法律を想定する。
以上のような問題意識で,ひとまず法制定を時系列で見ておこう。

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チェルノブィリ法制定を時系列でみる (簡易版)


1984 年 チェルノブィリ原発 4 号炉の運転開始
1986 年 4 月 26 日 チェルノブィリ原発 4 号炉の大惨事
1986〜1987 年 事故にそなえた法律がなかったため,行政レベル,共産党レベルで多数の決定,規則がつくられた。(*1)
1989 年春 ベラルーシとウクライーナで汚染地図が新聞に公表される。(*7)
1989 年 このころ,リクヴィダートルたちの同盟(チェルノブィリ同盟)が各地に形成された(*6)
6 月 27 日,市民団体「チェルノブィリ同盟」の規約が成立。(*7)
このころ,情報の隠蔽,被災者の放置,エリートの不正などがあきらかになり,各地で集会,デモ,ストライキ,公共機関のピケ,テント村などの抗議行動(*3,とくに 14 章)
1989 年秋 東欧諸国の共産党政権崩壊。ベルリンの壁崩壊
1990 年 3 月 ソヴィエト連邦憲法改正(私的所有,大統領制,国家と共産党の分離,複数政党制など。ゴルバチョフが大統領に就任)
1990 年 4 月 25 日 ソ連最高会議の決定でチェルノブィリ法案の策定方針(*7)
チェルノブィリ法案はチェルノブィリ同盟がアイデアを出し,法案の作成にはソ連最高会議の社会政策委員会,環境問題委員会,議員が協力した。(*7)
1991年
2 月 22 日 ベラルーシ SSR の法律「チェルノブィリ原発事故による被災者の社会的保護について」(*5)

2 月 27 日 ウクライナ SSR 最高会議決定「チェルノブィリ原発事故によって高レベルの放射能に汚染されたウクライナ SSR の領域での人々の生活に関する概念」(*5)
2 月 27 日 ウクライナ SSR の法律「チェルノブィリ原発事故による放射能汚染地域の法的あつかいについて」
2 月 28 日 ウクライナ SSR の法律「チェルノブィリ原発事故被災者のステータスおよび社会的保護について」(*5)
5 月 12 日 ソ連邦法律「チェルノブィリ原発事故被災者の社会的保護について」(*5)

5 月 15 日 ロシア・ソヴィエト連邦 SSR の法律「チェルノブィリ原発事故によって放射能の影響を受けた住民の社会的保護について」(*5)
11 月 12 日 ベラルーシ「チェルノブィリ原発事故による放射能汚染地域の法的地位に関する法律」成立(*1)
12 月 25 日 ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任(*8)
12 月 26 日 ソ連最高会議でソ連の消滅を確認(*8)
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用語および表記
*SSR: Soviet Socialist Republic の略記。ソヴィエト社会主義共和国の意味。ソヴィエトはロシア語でもともとは「評議会」などの意味。
*リクヴィダートル: 事故処理作業者。もともとの意味は「後始末をする人」。

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参考資料
*1. 『チェルノブイリ原発事故 ベラルーシ政府報告書[最新版]』産学社 2013
  http://sangakusha.jp/ISBN978-4-7825-3349-9.html
*2. 「ベラルーシにおける法的取り組みと影響研究の概要」京都大学原子炉実験所
  http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Mtk95-J.html
*3. 「チェルノブィリ極秘」アラ・ヤロシンスカヤ著 平凡社 1994
  https://www.heibonsha.co.jp/book/b160155.html
*4. 「ウクライナでの事故への法的取り組み」オレグ・ナスビット,今中哲二 1998
  http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Nas95-J.html
*5. 「チェルノブィリ原子力発電所の事故後の,被災者の生活・就労,健康被害に対する支援策」
  サンドロヴィッチ・ティムール 海外社会保障研究 2014
  http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/19982004.pdf
*6. [報告]アレクサンドル・ヴェリキン氏来日講演 FoE Japan
  「チェルノブイリ法」への道のり ―権利を勝ち取った苦難の歴史 2012
  http://www.foejapan.org/energy/news/120523.html
*7. 「3・11 とチェルノブイリ法―再建への知恵を受け継ぐ」尾松亮著,東洋書店 2013
  http://www.toyoshoten.co.jp/book/b108508.html
*8. 「現代ロシア法」東京大学出版会 2003
  http://www.utp.or.jp/book/b300115.html
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チェルノブィリ法制定を時系列でみる (詳細版)
http://starsdialog.blog.jp/archives/80517859.html
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記事のアドレス http://starsdialog.blog.jp/archives/80491871.html