災害避難者の人権ネットワーク

Network for Human Rights of Disaster Evacuees  

2014年09月

9/25 FoE Japan 報告会 原発輸出予定地トルコ・シノップの現状と市民の動き
http://www.foejapan.org/energy/evt/140925.html


日 時 2014年9月25日(木) 18:30~20:30
会 場 地球環境パートナーシッププラザ セミナースペース
〒150-0001 東京都 渋谷区神宮前 5-53-70 国連大学ビル1F
内 容
(予定・敬称略)
・日本からの原発輸出の構造と問題点 ・・・満田夏花/FoE Japan
・シノップ周辺の状況と、トルコの脱原発首長ネットワークに向けて ・・・吉田明子/FoE Japan

・コメント: 核不拡散、中東情勢の観点から ・・・川崎哲/ピースボート
・コメント: 日本原電の調査情報公開請求に向けて ・・・田辺有輝/JACSES


記事のアドレス http://starsdialog.blog.jp/archives/13402034.html

(9月22日修正)
9 月 18 日,大気がすこしひんやり感じられる,うすぐもりの日。
原発賠償関西訴訟の第 1 回期日をむかえた大阪地裁正面玄関前には傍聴希望者があつまりはじめていた。あとで聞くと傍聴券抽選に参加したのは 219 人だったとのこと。裁判所からも多数の職員が整理に動員されている。
大阪地方裁判所
http://www.courts.go.jp/osaka/

まもなく原告団と弁護団の行列が,正門でのテレビカメラ撮影を通りぬけて入場してきた。傍聴待機者から自然に拍手が起こり,手をふる。先頭の原告,森松さんは幼い娘さんをだきあげて玄関の階段をあがり,その光景を見せているようだ。こどもたちもこの歴史的光景を記憶してくれるにちがいない。

正門前歩道で入廷行列を撮影したテレビカメラが,そのあとも敷地内の傍聴待機者の集団を撮影しているのが見えた。めずらしいことだ。現場に立ってみると,傍聴待機者の集団が,すでに立派な直接行動であり,だれにでもできる意思表示なのだということがよくわかる。

自分は傍聴券の抽せんにはずれたので,模擬法廷がひらかれる中央公会堂 3 階小集会室にむかう。正面入口ではなく,西入口から入るようにサポーターの案内があった。半円形のおしゃれな階段を地下にくだり,建物に入って,エレベーターで 3 階にあがる。

中央公会堂は一時とりこわしの話もあったが,市民の運動で保存がきまり,全面改修されて,新築のようにきれいになった。3 階小集会室は高い天井とステンドグラス,天井と壁面の立派な装飾で歴史的風格をもつ部屋だ。

きょうの模擬法廷と報告集会の会場としてふさわしいとおもわれた。
大阪市中央公会堂
http://osaka-chuokokaido.jp/

模擬法廷は,実際の法廷とほぼ同時進行ですすめられた。最初に法廷の配置の説明があり,廷吏役が事件番号をよみあげる。
裁判官役,原告代理人役,被告代理人役をすべて弁護士がつとめ,法廷とおなじ内容で展開される。

本日の法廷では第二次提訴までの 120 人が原告となっている。(原告総数は第三次提訴までで 225 人。)

最初の意見陳述は原告番号 1 番,原告団代表の森松明希子さんの陳述を代役の弁護士が朗読する。
・・・「20 年後のあなたへ。ここに 1 通の手紙があります」と陳述がはじまった。「ああ,これが出たんだなぁ」とおもい,あらためて耳をすませた。手紙の一部分だけを抜き書きするわけにはいかないが,ききながら「本当にそうだね・・・」と心のなかでうなづく。よく考え,よく書かれた手紙である。
この手紙は森松さんの著書に収録されている。
かもがわ出版 『母子避難 心の軌跡』
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ha/0676.html

つづいて避難の経過,こどもたちの甲状腺検査のこと,中学校で 300 人の生徒に体験を話したときの反応などがのべられ,陳述書朗読がおわると共感の拍手がおこった。

ほかに二人の意見陳述があり,それぞれの被災体験と気持ちが訴えられ,いずれも拍手につつまれた。

弁護士がパワーポイントをつかって口頭弁論をおこなう。最初の部分は「福島第一原発事故が被害者から奪ったもの」と題するスライドがつかわれた。原発事故,健康被害に対する永続的恐怖,家族との軋轢,住民相互の分断,社会生活関係からの分断など,被害者の苦しみが述べられた。
つづいて弁護士が交代しながら「国・東京電力の法的責任」,「避難の社会的相当性」について弁論が展開された。
ICRP 基準に照らしても,「どんなに低線量であっても被ばくを避けることは合理的な行動であること」,国内法で 3 年以下の懲役,300 万円以下の罰金などの刑罰をふくむ規制によって,公衆の被ばく線量限度を年間 1 mSv (ミリシーベルト) とさだめていることから,これは「論争の余地のない確立した社会規範」であり,「どんなに少なくても,生活圏内に 1 mSv/年を超える地点を含む地域から避難することには社会的相当性が認められる。」と結論した。非常に明快で,わかりやすい論理である。「よかった!これでいけるんじゃないか?」という印象をもった。

時間の進行とともに,西のステンドグラスがまぶしいほどに光り,やがてそれがしずかにやわらいでいく。わたしたちが,ともにその時間進行のなかに身をおいていることを,光の変化が感じさせてくれる。

最後に金子弁護団長の意見陳述書が朗読された。問題の全体像が的確,簡潔にのべられていると感じられた。
ここで模擬法廷は終了し,サポーターズからの連絡事項,法廷に出た弁護士や原告からの報告,京都の原告,兵庫と九州の弁護団からの発言があった。

記者会見に出ていた最後のグループが到着し,裁判所での進行協議に出席した木口弁護士から,第 2 回以降の期日が伝えられた。12 月 4 日,来年 3 月 5 日,5 月 28 日,いずれも午後 2 時からの予定となる。
白倉弁護士からは「傍聴希望者が多かったことが力になった。裁判所や世の中へのアピールになる」と重要な助言があった。受付の名簿からよばれた「大阪から公害をなくす会」,「尼崎医療生協」が発言し,水戸喜世子さん(水戸巌氏夫人),京都訴訟原告を支援する会の奥森さんからも発言があり,10 月 12 日に京都,兵庫,関西(大阪地裁)の三訴訟の交流会を京都で開催することが提案された。

熱気があふれるなかで閉会となり,中央公会堂を出ると,うす雲が晴れ,秋のあかるい夕空がひろがっていた。

この裁判の基本的意味は,とりかえしのつかない大規模な人権侵害をどう救済するのかということにある。人権侵害は市民社会全体の課題であり,裁判への理解,共感,支持を市民社会にひろげる可能性は十分にあるはずだ。なお,「災害時における人権保護」への理解をゆたかにするためには,国際法と世界標準の理解が大切であろうとおもわれる。
この裁判を,なにか「政治的にかたよった」裁判であるかのような評価をするなら,それは人権に対する理解のまずしさからくる錯覚である可能性がある。そもそも「政治的にかたよった」という固定観念はなにを意味しているのか?
また「政治的中立という善意」で沈黙し,傍観するならば,結果的に「大規模な人権侵害を傍観する」ことになるかもしれない。
わたしたちはこの裁判を通じて人間としてゆたかに成長していくのだ,と決意しよう,おおきな展望をもとう。そのためには,上からあたえられる固定観念に拘束されない,自由な,自立した精神によって多面的に情報を収集し,学習し,連帯していくという「生きかたの確立」から出発したい。 (寺本@高槻)
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(報道)
NHK ニュース Web
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20140918/4062741.html

関西テレビ
http://www.ktv.jp/news/date/20140918.html#0481487
自主避難者の訴え:大阪地裁 (どこへ行く、日本。)
http://blog.livedoor.jp/gataroclone/archives/40271242.html
ラジオ・フォーラム
http://www.rafjp.org/release/report-140918/

(リンク)
東日本大震災による原発事故被災者支援関西弁護団
http://hinansha-shien.sakura.ne.jp/kansai_bengodan/index.html
原発賠償関西訴訟 KANSAI サポーターズ
http://kansapo.jugem.jp/

原発事故被災者支援兵庫弁護団
http://hinansha-hyogo.sakura.ne.jp/
東日本大震災による被災者支援京都弁護団
http://hisaishashien-kyoto.org/

(参考資料)

『国連グローバー勧告――福島第一原発事故後の住民がもつ「健康に対する権利」の保障と課題』
(合同出版,2014 年 8 月新刊)
http://www.godo-shuppan.co.jp/products/detail.php?product_id=444

「自然災害時における人びとの保護に関する IASC 活動ガイドライン」
(ブルッキングス版,日本語)
http://www.brookings.edu/~/media/research/files/reports/2011/1/06%20operational%20guidelines%20nd/0106_operational_guidelines_nd_japanese.pdf

「災害・紛争等緊急時における精神保健・心理社会的支援に関する IASC ガイドライン」
(独立行政法人 国立精神・神経医療研究センター)
http://www.ncnp.go.jp/pdf/mental_info_iasc.pdf
「国内強制移動に関する指導原則」 (GPID)
(成蹊大学版,日英左右対訳形式)
http://www.seikei.ac.jp/university/bungaku/teachers/20101201-2.pdf

以上



記事のアドレス http://starsdialog.blog.jp/archives/13154944.html

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週刊通販生活
今週の原発
森松明希子さんインタビュー
「原発事故の被災者には避難する権利,とどまる権利,帰還する権利が認められるべきです。」
http://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/genpatsu/morimatsu/?sid=top_main



記事のアドレス http://starsdialog.blog.jp/archives/13047421.html



【ラジオ放送】「原発事故自主避難を考える」 放送日は9月13日(金)~20日(金)
(転載)

福島県郡山市→大阪市に母子避難中の森松です。

福島県外からの避難者の方と一緒にラジオのゲスト出演をさせていただきました。
震災3年半が経過してもこうして話題に取り上げていただけることに感謝です。

ラジオフォーラム
http://www.rafjp.org/program-archive/088-3/

ラジオ放送日 9月13日(金)~20日(金)
※放送日時は放送局によって異なります。
ゲスト 森松明希子さん、太田歩美さん(原発事故自主避難者)
パーソナリティ 景山佳代子(社会学者/大学講師)
テーマ 原発事故自主避難を考える

YouTubeでも聴けます。
https://www.youtube.com/watch?v=0g_g6rg2izc&feature=youtu.be

主な内容
・なぜ2人の母親は訴訟に踏み切ったのか? 
 ~避難する権利とは?普通に生きる権利とは?~
・リスナーからのお便り紹介~みんなジャーナル
・中間貯蔵施設受け入れと避難との関係性について~第88回小出裕章ジャーナル

51分間の放送ですが、全て聞いて下さったら非常にありがたいです。

原子力災害に向き合って下さる全ての方々に心から感謝いたします。

森松明希子
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記事のアドレス http://starsdialog.blog.jp/archives/12954945.html

YAHOO! ニュース (2014年9月14日)
重要・原発推進が国連総会で国際公約に? 福島事故など完全無視して議論が進行中
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20140914-00039079/


記事のアドレス http://starsdialog.blog.jp/archives/12919823.html

(2014年9月18日に第1回口頭弁論期日をむかえる原告団代表からのメッセージ)

母子避難、福島から大阪へ
          ~ふつうの暮らし 避難の権利 つかもう安心の未来~

                           森松 明希子
                           (原発賠償関西訴訟原告団代表)
 はじめに
 東日本大震災から3年が経過しました。
 今なお関西の地で避難生活を続けられているのは、避難直後からの関西の皆さまの温かいご支援のおかげです。この場をお借りしまして、まずは感謝の気持ちを伝えさせてください。本当にありがとうございます。


 母子避難は苦渋の決断
 私は震災の当日、福島県郡山市で、3歳の息子と生後5ヶ月の娘、そして夫の4人で暮らしていました。原子力災害から2人の子どもたちの健康と未来を守るために、母子だけで大阪市内に避難してきました。3年以上が経過した今も、私たち家族は母子避難を続けており、夫は福島県に1人残って家族を避難させ続けるために働いています。
 母子避難を決心するまでの2ヶ月間は被災し自宅を失ったこともあり、また、震災直後の混乱の中、パニックを起こさないように、ただひたすら「収束するから」「復興」「がんばろう東北」の言葉を信じて、とても違和感のある生活に耐えていました。
 私の住んでいた郡山市は福島第一原子力発電所からは60キロメートルほど離れていますが、当時は同心円上に避難指示、屋内退避命令などが広げられていき、徐々に汚染地域が広がっていく恐怖に怯える毎日でした。少しでも強い風が内陸方向に吹き込んだら・・・、目には見えない放射性物質が飛び散っていても分からないですし、ニオイも、味もない、通常はすぐの反応も出ない、一体どこまで気をつけたら良いのだろう?それでも国は、より危険な地域から順次、人を避難させてくれるものだと信じていました。
 一番辟易したのは、避難所で1ヶ月近くたとうとするころ、テレビのニュースで「東京の浄水場から放射性物質が検出された」との報道でした。福島第一原発から200キロも離れている東京で検出されて、60キロの郡山の水が汚染されていないはずはありません。案の定、翌日には福島市や郡山市などの水も汚染されていると報道されました。しかし、報道がなされても、地域住民全てにペットボトルの水が行政から配られるわけではないのです。
 全国の皆さんは、この水道水が放射能汚染されたという隠しようも無い紛れも無い事実を知っているのですが、その報道の裏で、私達周辺地域の住民は、放射性物質がたとえ「身体に直ちに影響はない」ほど微量とはいえ、放射性物質が検出された水を飲まざるをえない状況に追い込まれ、それを飲むという決断をしているのです。その水を飲んだ母親の母乳を赤ちゃんに飲ませるという過酷な決断を迫られたのです。当時どれだけの空間線量があったのかも知らない上に、私たちは汚染された水を飲み、たとえ直ちに影響はなかったとしても、一生涯、子どもたちに出てくるかもしれない健康被害の可能性と向き合っていかなければならないという現実があるのです。その十字架を背負って生きていかなければならないといことなのです。ですが、私が申し上げたいのは、たまたま東北で大地震が発生し、たまたま福島第一原発が事故を起こしたから、その周辺地域住民であった私たちが被害に遭っているというだけで、全国に54基もの原発を抱える我が国においては、いつなんどき、誰がこの状態に陥るのかはわからないのです。そのことを推して知るべしだと思いますし、全国民がその現実
を我が身に置き換えて考えていただきたいのです。
 それでも当時の福島県民は、秩序を守りながら、「原発は収束するから」との言葉を信じて生活を立て直そうと必死でした。「健康に直ちに影響はない」と繰り返すばかりの当時の官房長官の言葉とは裏腹に、子どもたちを一切公園には出さず、長袖長ズボンで外出時はマスクを着用。外遊びをさせない、洗濯物を外に干さない、窓は開けないは当たり前で、そうすると、普通の暮らしが徐々に制限されていくのです。ベビーカーを押して子どもの手を引いて夕飯の食材を買うためスーパーにも行けない、週末が来れば、家族で車に乗って、隣県の山形や新潟まで高速をひた走り、普通の町中にあるようなブランコや滑り台のあるだけの公園を見つけて小一時間ほど3歳児を遊ばせて、また何時間もかけて高速を走り、また福島に戻ってくる。そんなおかしな生活を続けていました。とても生活の再建どころではありませんでした。
 一番怖かったのは、人口が街から流出していくということを目の当たりにしたことでした。週末がくると大型の引っ越しトラックが来て、子どもを連れた世帯が県外へ一世帯、また一世帯といなくなっていくのです。親戚、縁者が福島県以外のところにいる人が子どもを連れて出て行くのです。そんな中で生活を続けていてもいいのだろうか、どこまでやれば放射能から子どもを守ることができるのだろうかともの凄く悩みました。福島県の中にいると、情報が何ひとつ与えられないのです。
 避難を決心できたのも、たまたま私には親戚縁者が関西にいたからであって、福島を出て外から福島を客観的に見る機会に恵まれたからです。そこで初めて、福島を外から見た私が一番衝撃を受けたのは、福島と関西でのローカルニュース(夕方5時、6時台のニュース)の内容がぜんぜん違っていたことでした。母親の直感かもしれませんが、「これは帰ってはいけない」と思いました。どれだけ被曝したのか分からない中で、もうこれ以上子どもたちを被曝させてはいけない、健康被害のリスクを高める事は出来ないと夫婦で話し合い、母子避難という形をスタートさせることを急遽決めることになりました。今でも震災直後のゴールデンウィークに一時的であれ実家のある関西に出ていなかったら、私は福島にとどまっていたかもしれないとふと思う時があります。
 それくらい、今あるあたり前の生活を何もかも捨てて「避難する」という選択をするということは、苦渋の決断の上にあるものなのです。しかも、これほど長期にわたる避難生活を送ることになるとは、避難した当初は考えてもいませんでした。初めの1年間は、いつ戻れるか、いつになっ たら家族4人でまた再び一緒に暮らせるのか、そればかりを考えていました。ですが、後から後から出てくる客観的事実は、どう考えても子どもの健康被害のリスクを高めることになる帰還という選択は、一度福島を出た私には出来ませんでした。


 福島県の実態とおかしな国の政策
 この3年間を端的に言い表すと、まさに「知らせない、調べない、助けない」に尽きます。
 事故から2ヶ月後の5月、「除染」を全国に先駆けて行ったのが郡山市の薫小学校でした。私達が住んでいた学区のすぐ隣りの小学校でしたので、事故直後、何も知らずに2ヶ月もの間、高い線量の下、「頑張ろう福島」の掛け声に耐え忍んで強烈な違和感を感じつつ生活していたことを心底悔やみました。それでも当初は、除染さえ済めば福島に戻ってまた家族一緒に暮らせるとも思っていました。しかし、福島県は広大な田畑が広がる農村地域です。強い風が吹けば、一晩のうちに裏山から放射性物質が舞い落ち、すぐに線量は戻ってしまう。そんなところに莫大な費用やマンパワーを投じるより、人、特に将来のある子どもたちを汚染地から出してほしいと思いました。
 震災の年の夏ころにはワイドショーで関東圏にも多数のホットスポットの存在が明らかになり話題が沸騰していましたが、避難元の郡山には道路の側溝、垣根など、いたるところでホットスポットが存在するのです。また、放射能汚染は同心円上に広がるのではなく風向きと降雨により変わってくるというスピーディーの情報隠しも明らかになり、私たちは当初、何も知らされなかったということが後になり分かってきました。
 そして、ずさんな県民健康調査と不透明な事前の秘密会議、甲状腺に少しでも異常が認められても2年に一度の頻度で良いとし、別の病院での再検査は受けさせないなど、実質的にセカンドオピニオンやインフォームド・コンセントを放棄するような緘口令が敷かれている現実は、まさに、「調べない」、そのものです。調べなければ健康被害も事故と疾病との因果関係も明るみに出ることもないわけで、本気で国民や子どもたちの命と健康を守ろうとする姿勢はまるで感じられませんし、今なおその状況が続いています。
 事故から1年以上経過した2012年6月に、「原発事故子ども被災者支援法」が成立し、やっと全国に散らばる避難民は救われる、出たいと思う人は誰でも汚染地から平等に避難できるような具体的施策が実施されるのかと思いきや、法律はあるのに棚晒し。
 住んでいる人がいるのを良いことに、安全キャンペーンをはられ、避難した人をまるでナーバスでヒステリックな異端児扱いをすることで放置するという・・・。もともと法律で立ち入りを禁じていたはずの基準値を引き上げ(緩め)て帰還キャンペーンにばかり力を注ぐなど、まるで法治国家ならぬ放置国家です。
 「助けない」ばかりでなく、3年経った今でも汚染水は漏れ続け、何の解決も見られないなか、早々に宣言した収束宣言を撤回し、謝罪することもなく、事故を過小評価し、まるで事故などなかったかのようです。
 たまたま福島を出られた私は、自分の子どもたちだけがこれ以上の被曝を避ける事ができたからそれで良かったとはとても思えません。
 低線量被曝と折り合いをつけながら、なんとか不安と恐怖を押し殺しながら国の助けを待っている人がいるというのに、誰もが平等に被曝を避けるために避難できるという制度は事故直後も3年経た今もありません。私の知る限り、安心・安全と思って福島で子どもを育てているお父さん・お母さんは1人もいないと思います。放射線被曝から免れる権利は誰もが平等に与えられるべきですが、今は全く不平等な事態が放置され続けていると言っても過言ではありません。
 また、私たちは、3.11前のただふつうの暮らしを望んでいるだけなのに、そのための発言をする人がいれば、「風評被害を煽るな」と言論の自由さえも奪われ、萎縮効果で皆が言論の自主規制を敷いて押し黙ってしまう・・・。
 知る権利が奪われ、言論も萎縮させられるというこの現実は、民主主義の根幹を揺るがす事態が起こっていると危惧せずにはいられません。


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毎日新聞 9月5日 
 東京電力福島第1原発事故後、上空に巻き上げられた放射性物質の雲状の塊「放射性プルーム(放射性雲)」が、これまで知られていた2011年3月15~16日に加え、約1週間後の20~21日にも、東北・関東地方に拡散していく状況が、原子力規制庁と環境省による大気汚染監視装置のデータ分析から裏付けられた。

▽東日本大震災:福島第1原発事故 東北・関東、1週間後にも放射性雲 セシウム高濃度
http://goo.gl/v5LMJa


記事のアドレス http://starsdialog.blog.jp/archives/12385066.html

大飯原発差し止め訴訟判決報告会
(質疑,討論もあります)

日時 2014 年 9 月 13 日 (土) 午後 2 時~4 時
場所 高槻市立総合市民交流センター(クロスパル高槻) 5 階視聴覚室
   http://www.city.takatsuki.osaka.jp/scene/yoka/bunka/1404714851073.html
報告 福井原告団 松田事務局長  弁護団 寺田弁護士
主催 高槻 de・パレ(3.11福島を忘れない原発ゼロ高槻 de パレード実行委員会)
資料代: 500 円


記事のアドレス http://starsdialog.blog.jp/archives/12280912.html

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